べに花の郷「桶川」と桶川宿歴史散策のウォーキング。
さて、JR高崎線に乗ってやってきたところは、桶川駅です。週末恒例の駅ハイに参加してきたよ。今回参加コースは、2015年6月13日(土)開催、駅からハイキング「中山道桶川宿とべに花観賞ハイキング」です。
桶川駅改札口を出て、まず確認するのはコレ。べに花開花状況です。本日の開花状況はどんな感じかな?....。「咲きはじめ」でした..。う~む、残念。今回のウォーキングのメインの1つなのだがね。
まずは、受付を済ませコースマップ等を取得した。
恒例の缶バッチは、E5系 はやぶさ など でした。う~ん、前回の駅ハイの時と同じデザイン..かぶった..。あと、べに花の種も貰えました。
江戸時代、「桶川臙脂(おけがわえんじ)」の名で知られた桶川のべに花。山形の最上地方より気候が温暖なため、ひと足早い6月に収穫され、べに花商人に歓迎されました。今も残る、べに花の集散地として栄えた中山道桶川宿の面影をお楽しみください。
桶川の駅ハイは2年ぶり3度目の参加。約7.5kmのウォーキングコース、頑張って歩きましょう。
桶川駅東口から続く商店街通りを歩いていく。
ここは、浄念寺です。桶川駅から4分。浄念寺のシンボルというべきこの朱塗りの仁王門(山門)は、元禄14年(1701年)に再建されたものです。
この仁王門の上には鐘楼が懸かっています。仁王門は、桶川宿最古の建造物である。
仁王門の2階にある鐘楼。美しい音色で桶川宿の隅々に鳴り響いた事でしょう。
仁王門の楼下には、二体の仁王像を安置している。明和5年(1768年)に開眼された。口を開けているほうが阿形像、口を閉じているほうが吽形像といい外から侵入しようとする法敵から仏法を守護しています。
こちらが本堂。
浄念寺は、浄土宗のお寺。正式名称は、清水山報恩院浄念寺。室町時代後期の天文15年(1546年)に開創。
こちらは、板石塔婆。浄念寺の板石塔婆は、最も古いもので正和19年(1550年)のものである。
左に不動堂、右に太子堂があります。
ちなみに、ここでの詳細レポは、「浄念寺(桶川市)を訪れた2015。」へどうぞ。
コースポイント箇所目は、「武村旅館」です。浄念寺から2分。昔の雰囲気を出す建物だね。
桶川宿には、大名や公家などの宿泊施設である本陣、脇本陣のほかに、中山道を往来する一般庶民の宿である旅籠(はたご)が数多くあった。その数は、江戸時代末期の天保年間(1840年頃)には、36軒を数えたという。
この武村旅館は、宿場町当時の旅籠の姿を今にとどめる貴重な建物である。
皇女和宮が中山道を下向した文久元年(1861年)には、ここで紙屋半次郎が旅籠を営んでいた。当時の間取りは現在もほぼ引き継がれています。
ちょっと中に入ってみた。入口の部分だけ、ちょっと雰囲気を味わってみました。現在は、ビジネス旅館として営業しています。
貴重な建物であり、国登録有形文化財(建造物)に認定されています。
ちなみに、ここでの詳細レポは、「中山道の旅籠・武村旅館に立ち寄る2015。」へどうぞ。
こちらは、木戸址(下)。桶川宿の町並みの両端には、宿場の出入口として木戸が設けられていました。朝夕定時に開閉されていたといいます。
旧中山道の通りを歩いていくと、右手に国登録有形文化財があります。行ってみよう。
コースポイント箇所目は、「島村家土蔵」です。武村旅館から木戸址経由で7分。桁行六間、梁間三間の木造3階建ての土蔵で、江戸時代後期の天保7年(1836年)の建築と伝えられています。国登録有形文化財に指定されている。島村家は中山道桶川宿の本陣近くに店を構えた穀物問屋木嶋屋の総本家で、土蔵の屋根の両端にある鬼板には当時の屋号の一字をとった「木」の字が刻まれています。入館料は100円。
江戸時代の百科事典カラー版があったり、年代物の雛飾りがあったりと貴重な展示物が多くありました。
島村家土蔵の建築工事は、天保の大飢饉あえぐ人々に仕事を与え、その報酬により多くの民が飢えから救われたことから、「お助け蔵」と言われたとの伝承も残されています。
コースポイント箇所目は、「矢部家住宅」です。島村家土蔵から1分。矢部家住宅は、中仙道に面した土蔵造りの店蔵と、その奥に続く塗屋造りの住居、土蔵造りの文庫蔵、切妻造りの勝手場他の建物で構成されています。
矢部家は屋号を「木半」(木嶋屋半七)といい、主には穀物問屋を営んでいました。また紅花の商いも行い、桶川の稲荷神社境内に残る「紅花商人寄進の石燈籠」(市指定文化財)に刻まれた24人の紅花商人の中に名を連ねています。
現存する建物の中で最古のものは中山道から最も奥に位置する土蔵造りの文庫蔵で、棟札から明治17年の建立であることがわかります。この土蔵は、屋根の鬼瓦の上から鋳鉄製の棘状の棟飾りが出ているのが特徴です。これは「烏」または「烏おどし」とも呼ばれ、烏よけと言われていますが、周辺地域でも数少ない珍しい意匠です。
では、ちょっと中を拝見してみよう。
中山道に面した土蔵造りの店蔵は、矢部家第6代当主の五三郎(安政4~大正9年)が明治38年に建立しました。桁行五間(約9m)、梁間三間、黒漆喰塗りの重厚な構えで、棟札には、川越の土蔵造り商家を多く手がけた職人たちをはじめ、地元の職人たちが名を連ねています。
桶川宿で現存する土蔵造りの店蔵はこの矢部家一軒のみとなりましたが、往時の桶川宿の繁栄と賑わいを偲ぶことができる貴重な建造物の1つです。
ちなみに、ここでの詳細レポは、「蔵造りの商家、矢部家住宅を訪れた2015。」へどうぞ。
コースポイント箇所目は、「桶川宿本陣遺構」です。矢部家住宅から1分。本陣とは、参勤交代の際、大名が使用する宿場に設置された宿泊所で、 桶川宿本陣は、加賀百万石の前田家の宿所とされたほか、水戸藩主徳川斉昭 (徳川15代将軍慶喜の父)も利用したとされています。 また、文久元年(1861)には江戸に向かう皇女和宮が宿泊したことでも知られています。
この日は特別に一般公開されていたので、中に入ってみました。ただ、この中は現在一般の民家となっている為、写真撮影はダメである。立派な建物が残っているんだな。
コースポイント箇所目は、「稲荷神社」です。この地は芝川の水源地帯で、湧水がこの付近を流れ、一帯は豊かな杜が広がっていたそうです。
拝殿の正面に一対の大きな石燈籠があります。かつて中山道の宿場町だった桶川宿は、染物や紅の原料となる紅花の生産地としても栄えました。この石燈籠には、計24人の紅花商人の名が刻まれており、桶川のほか、上尾や菖蒲の商人の名前もあり、繁栄を伝える貴重な文化財です。
拝殿横には、大きな力石があります。稲荷神社の力石は、長さ1.25m、幅0.67m、厚さ0.4m、重さ610kgの雫のような形の楕円形で、力比べに使った力石としては日本一重いと言われています。
表面には「大盤石」(だいばんじゃく)の文字と、嘉永5年(1852年)2月、岩槻の三ノ宮卯之助がこれを持ち上げたこと、続いて、ともに当時の桶川宿の有力商人であった石主1名と世話人12名の名が刻まれています。
いゃあ、大きな力石だね。ちょっと、さわってみると、パワーを授かりそうです。
三ノ宮卯之助(1807~1854年)は、旧岩槻藩三野宮村(現越谷市)出身で、江戸へ出て勧進相撲をつとめ、江戸一番の力持ちと評判の力士でした。卯之助の怪力ぶりに、集まった観衆はさぞかし驚き、拍手喝采を送ったことでしょう。
稲荷神社は、近郷の氏子や崇敬者により、鎮守として祀られています。桶川宿の鎮守となり、後に、桶川町の郷社となりました。神楽殿もあるね。
新しく奉納された狛狐さん。ちょいと休憩、麦茶タイム。
ちなみに、ここでの詳細レポは、「桶川稲荷神社の大盤石2015。」へどうぞ。
横断歩道を渡る。下は、国道17号線が通る。
住宅街の中を歩く。芝川にかかるこの橋の名は「しあわせ橋」である。
ここは、地域福祉活動センター。ここで、お茶のおもてなしがありました。
圏央道桶川加納インターチェンジは開設に向け工事中。2015年11月末までには開通予定である。
コースポイント箇所目は、「べに花ふるさと館」です。稲荷神社から31分。長屋門をくぐり、中へ入ってみよう。
中に入って正面には母屋があります。明治後期に建設されたもので、この地方の典型的な在村地主民家造りになっており、明治期における民家建築様式を伝える文化遺産です。
この建物の1階が食事処になっているよ。
お店の中は、民家のような感じでいい雰囲気を出しています。
お昼時、人気店の為行列待ちです。順番待ち名前を書いて、しばし待ちました。
お店の自慢は、手打ちうどん。桶川産地粉100%の本格うどん。お蕎麦も手打ちだ。
天ぷらも揚げたてを提供してくれるので、お勧めだ。
夏にぴったり、冷汁うどんにしようと思ったが、売り切れ...。残念。という事で、肉ねぎ汁うどんを注文。
さぁ、来ました。おぉ、美味しそう。野菜各種天ぷらも、小皿110円で提供なので、いろいろ頼んじゃった。
太めのうどんだ。では、頂きます。うむ、食べ応えあるうどんだ。
サイン色紙飾られているね。
中庭では、地元グルメが味わえたよ。べに花まんじゅうやべに花おこわがあったな。
夏にぴったり、ところ天を頂く。
みたらし団子に五平もち。ついつい食べてしまいます。
中庭は、パラソル付きテーブル座席が設置されているので、屋外で買ったグルメを味わえる。風が通ると、気持ちが良い。
先に見える建物は、管理・工房棟で、手打ちうどん・そばが作られているよ。
ギャラリー展示があり。
こちらは、離れ・和心庵。
アイスキャンデーを食べて、涼しもう。
べに花ふるさと館は、祝15周年!。2015年7月11日(土)は、記念イベントとして、俳優の本木雅弘さんが1日館長を務められるそうだ。本木さんは桶川市出身だからね。来館時間は11時から14時30分の予定。
長屋門前の花壇には、べに花を育てていますよ。この施設の名前の由来でもあり、桶川はべに花の町だからね。
むかし(江戸時代末)紅花は染料や口紅の材料として使われ、江戸商人が桶川に種子をもたらし、「桶川臙脂」の名で全国に知れ渡りました。昔は、山形県最上地方に次ぐ2番目の収穫高を誇っていた。幕末には、米の倍の値で取引され、経済的な反映をもたらせました。
べに花の見頃は6月下旬から7月上旬です。黄色や赤色の花びらが綺麗な感じだ。
2015年6月20日(土)・21日(日)は、市制施行45周年記念第20回べに花まつりが市内各所で行われました。
桶川市のマスコットキャラクター「オケちゃん」がお出迎えだ。
竹林が雰囲気良し。梅林もあるよ。
ちなみに、ここでの詳細レポは、「桶川市べに花ふるさと館で、手打ちうどんを食べる2015。」へどうぞ。
コースポイント箇所目は、「べに花畑」です。べに花ふるさと館から1分。べに花が咲き始めの状態です。2分咲きといった具合でしょうか。
むかし(江戸時代末)紅花は染料や口紅の材料として使われ、江戸商人が桶川に種子をもたらし、「桶川臙脂」の名で全国に知れ渡りました。昔は、山形県最上地方に次ぐ2番目の収穫高を誇っていた。幕末には、米の倍の値で取引され、経済的な反映をもたらせました。
6月下旬から7月初旬にかけて鮮やかな黄色に染まるべに花。3月下旬に種まきをし大事に育てられます。
べに花はキク科に属する。鮮やかな黄色の花を咲かせ、徐々に赤くなっていきます。
満開になると、黄色や紅色の花が咲き誇るのだが、またまだ蕾が多い状態だ。
花が咲く期間は、桶川市内の数カ所でべに花まつりが開催され、綺麗に咲く紅花を鑑賞する事ができます。2015年は、6月20日(土)・21日(日)に開催されます。
ちなみに、ここでの詳細レポは、「桶川のべに花畑、咲き始め2015。」へどうぞ。
国道17号坂田交差点を横断します。
コースポイント箇所目は、「大雲寺」です。べに花畑から28分。曹洞宗禅門の名刹で、山号は龍谷山。本尊は釈迦牟尼仏。足立坂東三十三霊場第2番札所でもある。
静けさの中、境内は綺麗に手入れされているな。
本堂に向かって右手に3体の地蔵がある。その右端の地蔵は、女郎買い地蔵と言われている。この地蔵は夜な夜な飯盛り女に会いに出るので、和尚が地蔵の背中に鎖を繋いだとか...。
こちらは鐘楼堂。
石仏がずらり。
ちなみに、ここでの詳細レポは、「女郎買い地蔵がある、大雲寺を訪れた2015。」へどうぞ。
お休み処・観光案内所となる施設です。
ここは、中仙道宿場館です。ここで、ゴール受付となります。参加粗品がもらえました。
桶川駅へ向かう道です。おぢいさんの店と言う玩具屋さんが気になる...。
桶川駅東口は駅前も含み、狭い道路だからね。駅前広場整備計画があるようです。
桶川駅に戻ってきました。ふぅ~。桶川駅をスタートしてからゴールするまで、3時間46分かかりました。
【今回のウォーキングデータ】 歩行歩数:13715歩 消費カロリー:694.3kcal 消費脂肪量:99.1g 歩行距離:10.42km 歩行時間:1時間54分 平均時速:5.45km/h エクササイズ量:7.2Ex
駅前では、べに花摘みの販売していました。
JR高崎線に乗って帰りました。
今回の駅ハイ参加で、今シーズン(2015年度)参加回数は6回目、駅ハイポイントはWEBコース2倍の4ポイント加算して、合計18ポイントになりました。
2年ぶりの桶川駅の駅ハイ参加。肝心のべに花は、咲き始め(2分咲きくらい)で、ちょっと残念だったが、桶川うどんを堪能できたし、まぁ良しでした。
夏暑い時期に入り、駅ハイ参加は中断かな..。期間設定のコースがあるが、どうしようかな?。今のところ、次の駅ハイレポは10月頃の予定です。(多分...)。
なので、次のウォーキングレポは、東武鉄道主催の東武健康ハイキング「第334回流山おおたかの森駅 開業10周年記念! 初夏の柏 公園めぐりハイキング」をお届けします。お楽しみに。
ちなみに、各訪問詳細レポは、以下のリンク先へどうぞ。
さらに、ちなみに、桶川の過去駅ハイ参加記事は以下のリンク先へどうぞ。
JR東日本・駅からハイキング No.05510 「中山道桶川宿とべに花観賞ハイキング」 2015年6月13日(土)実施 所要時間:約3時間30分(施設での見学時間含む) 歩行距離:約7.5km
スタート:桶川駅→①武村旅館→②島村家土蔵→③矢部家住宅→④桶川宿本陣遺構→⑤稲荷神社→⑥べに花ふるさと館→⑦べに花畑→⑧大雲寺→ゴール:中山道宿場館→桶川駅
(各写真画像をClickすると4倍拡大表示します)
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