旧小向村の鎮守社。🎪
さて、やってきたところは、埼玉県三郷市にある小向三輪神社です。三輪神社は、寛永16年(1639年)の江戸川の氾濫の時、三輪野江(現吉川市)の三輪神社の神体が当地に流れ着き、これを村人が拾い上げて創始、稲荷社・秋葉社とともに小向村の鎮守社だったといいます。🎤
拝殿にて参拝。祭神は、大物主命・櫛玉命を祀る。👤
龍の彫刻見事だね。🎨
境内で一番目立つのが、この大きな木。🎄
大きな木は、イチョウの木です。市指定の保存樹木となっている。🎄
御神木、囲いができているな。➰
先には水神宮・阿波島宮・雷電宮がある。その右手に、三峰社がある。➰
左に道祖神がある。正面は馬頭観音かな?。右に大神神社参拝記念碑。⛳
拝殿の右手には、小向公民館があります。🏠
神興殿があります。神輿(みこし)を奉安・収納しています。🚙
小向三輪神社の由緒について
当神社が位置する小向は、高須村より分かれる。元禄8年の改めには小向樋野口村と記載、その後各々一村となる。村の南・古川(小合川)の対岸金町村関所の辺りを大向と呼び、それに対して小向と称したと記載されている。文政年間に56の民戸数があり、村内は三町四方、耕地は、徳島、長戸呂三村と入会し江戸川の対岸に飛び地があった。享保16年江戸川掘り替えにより川向うとなり、そこにも10の民戸数があったと記録に残されている。
この地江戸川右岸の堤防すぐ下に鎮座する小向三輪神社は、倭大物主櫛甕玉命(やまとおおものぬしみかだまのみこと)を主祭神として祀り、境内に聳えたつ大銀杏は遠方からでもよく目立つ。当神社の創建については諸説あり、伝承によれば、寛永16年(1639年)に江戸川の氾濫の時に三輪野江・三輪神社(現吉川市三輪野江鎮座)のご神体が当地に流れ着き、これを村人が拾い上げ、祠(ほこら)を建立し、祀った事に始まったと伝えられている。
ただし、現在は三輪神社のご神体と文久元年(1861年)に祀られた天満天神像のご神体は、平成元年4月の火災で焼失している。三輪神社の社殿は、神社には珍しく北向きに鎮座しているが、それは吉川市三輪野江方面に向けて建てられたためだと言われている。江戸初期の小向では、本田、新田、飛び地(江戸川の対岸にあった)の三地区に分かれており、三輪社(当社)・稲荷社・秋葉社を各々で奉賛したと言われている。後に河川改修により飛び地は河中に没し、明治初期には三輪社と稲荷社の二社だけとなり、更に政府の一村一社の合祀政策に従って三輪神社に合祀をして一社のみとなり現在に至っている。
当社の主祭神の『倭大物主櫛甕』と『大國主命』とが同一神と称されている。
三輪神社の総本宮は、奈良県桜井市三輪に御鎮座されている『日本最古の社』と称される『大神神社(おおみわじんじゃ)』で第10代崇徳天皇の御代に、国造りの神・国家の守護神として高く祀られている。当社は平成元年火災に見舞われ、火災後の新社殿の造営に合わせて同年11月3日の遷座祭に大神神社より、新しい御分霊の奉祭を行っている。ご利神徳しては、農業・工業・商業等全般の御守護並びに疫病除け・病気平癒・医薬・酒造り・縁結びなどがある。
現在の三輪神社は、稲荷大神・三峰神社を合祀し、過去においては毎年5月に三峯神社(埼玉県秩父市三峰)に小向講社として参拝をしていたが近年においては3年に一度の参拝となっている。
当社においての年間行事としては、元旦祭・初午祭・土用干し(7月24日)・秋季例大祭(11月3日)に加えて、不動様が祀られ「護摩焚き」行事が行われ、氏子総出で歴史を継承している。また、このうち、過去に最も盛大に行われていたのが、秋の例大祭で神輿渡御が行われ各種の神輿を担ぎ氏子区域を巡回し、神楽など奏でたり盛況であったが、昭和30年半ばに諸事情で行われなくなった。
平成26年11月から大人神輿も化粧直しを行い、加えて子供神輿を新調し神輿渡御が復活された。大人神輿・子供神輿に例大祭の復活にあたっては、氏子関係者をはじめとして東町みなみ町会、高須4丁目東町会等のご協力・ご協賛を感謝し、今後とも例大祭開催のため継続は力として関係者一同決意新たである。
令和3年12月設置 小向三輪神社 氏子中
江戸川土手上から三輪神社を眺める。住宅街の中に鎮座します。👀
と言う事で、小向三輪神社を訪れたレポでした~。🐶
ちなみに、過去訪問時レポは、以下のリンク先へどうぞ。✋
「三輪神社」 住所:〒341-0037 埼玉県三郷市高州4-137 アクセス:JR常磐線金町駅北口から徒歩約34分 JR常磐線・新京成線松戸駅西口から徒歩約38分 東武バス高州四丁目バス停下車徒歩約6分 📖
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