神道無念流戸賀崎氏練武遺跡を訪れた2015。
埼玉県で初めて道場を開設し、県指定文化財(旧跡)に指定されました。
さて、やってきたところは、埼玉県久喜市にある神道無念流戸賀崎氏練武遺跡です。神道無念流は、流祖福井兵右衛門嘉平により編み出され、戸賀崎熊太郎暉芳によって、江戸市中はもとより関東一円にその名声を博するようになった。
明和元年(1764年)に、初代暉芳がこの地に開設した道場は、埼玉県内の道場の最初であるとともに、戸賀崎家五代、百五十年余続いたことでも有名である。
この道場では、練武と共に常に人間教育を行っており、それは「演武場壁書」の道場訓によく現れている。
暉芳は、十六才で江戸に出て、福井兵右衛門について神道無念流を学び、二十一才で免許皆伝を受け、郷里(現在地)に帰り、屋敷内に道場を開き子弟の指導にあたった。三十五才の時再び江戸に出て道場を開き、十七年間にわたり門弟三千人といわれた。その中で、岡田十松、秋山要助、斉藤弥九郎などは有名である。
- 初代 知道軒 戸賀崎熊太郎暉芳(1744-1809)
- 二代 有道軒 戸賀崎熊太郎胤芳(1774-1818)
- 三代 喜道軒 戸賀崎熊太郎芳栄(1809-1865)
- 四代 尚道軒 戸賀崎熊太郎芳武(1839-1907)
- 五代 好道軒 戸賀崎熊太郎清常(1865-1921)
特に三代喜道軒は、水戸藩徳川斉昭の要請をうけ、弘道館の剣道師範となり、上士に列せられ、五十人扶持をもって遇され、剣技教授に補せられた。なお、四代尚道軒も同様である。
しかし明治維新後、同九年に廃刀令が施行されるとともに、武道は徐々に衰退し、百五十年余続いた神道無念流戸賀崎道場は、大正の中頃廃止された。なお、神道無念流は引き続き六代守惠を経て、七代惠太郎、八代正道の各氏やその一門に継承されていった。
遺跡の東側には、道場「惠文館」が平成15年(2003年)に復興新築開館しました。現在、子供から大人まで剣道の練武に励んでいる。戸賀崎家には、これらに関する資料が百五十点余保存されている。
県道151号久喜騎西線沿いにあり、公共機関でのアクセスでは、大和観光バスの練武道場跡バス停が最寄りすぐです。駅から遠いので、車がベターだな。
という事で、神道無念流戸賀崎氏練武遺跡を訪れたレポでした~。
ちなみに、ここを訪れたのは、ウォーキングイベントのコースルート上であった為。その参加レポは、「駅からハイキング「【久喜駅開業130周年記念】久喜の秋 ~自然と歴史散策~」に参加してきた(2015.11.21)。」へどうぞ。
「埼玉県史蹟 神道無念流戸賀崎氏練武遺跡」 〒346-0038 埼玉県久喜市大字上清久144 大和観光バス練武道場跡バス停下車すぐ 東武伊勢崎線鷲宮駅から徒歩約27分・JR宇都宮線久喜駅から徒歩約35分
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