池上家冨士浅間塚を訪れた2014。
自然の小山や小さな塚に浅間社を勧請し、富士塚と呼ぶことは鎌倉、室町時代ころから行われていたようです。
さて、やってきたところは、埼玉県さいたま市西区にある池上家冨士浅間塚です。
江戸時代、文化文政期(1804~1830)のころ、江戸を中心とした地域で富士山を信仰の対象といる人々の組織、富士講が大流行し、実際の富士山を模した塚が盛んに築かれるようになりました。さいたま市内でも十基以上確認されています。
この塚は円丘状で、高さ約3.5m、直径約25.0mです。南東斜面に33段の石段を設けてあります。
では、階段を登ってみましょう。
てっぺんにやってきました。
頂部には南北約9m、東西約7mのわずかに窪んだ平坦部があります。この平坦部中央やや北寄りに建つ覆屋の中には、冨士浅間社の木造社殿があります。参拝。
階段を戻ってもよいが、先に降りるなんとなくな道があるので、沿って降りました。
塚内部には「胎内」と呼ばれる石室が造られていて、その開口部は塚の東側下部にあります。この石室一番奥の部屋の壁面には、妊娠に関わるはじめの月から十月めまで各月の胎児の図像が陽刻してあり、真言密教立川流の教義との関連があると考えられています。
なお、この塚と浅間社とを合わせて、池上家では「浅間様」と呼んでいます。
池上家の冨士浅間塚は、いわゆる「富士講による富士塚」が流行する以前に、個人の信仰のもとに築かれたものという点で、広い意味での「富士塚」信仰の姿を伝える貴重な存在です。また胎児の図像の存在も大変興味深いものです。
なお、関連資料として、木造木花開邪姫命立像、木造随身倚像、柄鏡、印章、古幟、献灯札、石造物、文書資料となります。
という事で、池上家冨士浅間塚を訪れたレポでした~。
ちなみに、ここを訪れたのは、ウォーキングイベントに参加の為。その参加レポは、「駅からハイキング「水と緑と花のまち 西区の花アジサイと自然満喫ハイキング」に参加してきた。」へどうぞ。
「池上家冨士浅間塚」 さいたま市指定史跡 〒331-0077 埼玉県さいたま市西区大字中釘
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